2006年09月12日

スケッチ



二つに引き裂かれたアンナ

ねらい
 この本では、アンナが(親の)双方の家とうまくやっていけない、という問題がテーマとなっている。アンナが遊んだり学校に行くときに必要なものは、いつも、他方の親(居ない方の親)のところにある。親が離婚した子どもたちは、双方の親と集中的に接触しなければならない。こうした問題は、よく知られた問題でもある。
手引き
 子どもたちと一緒に物語を読む。そして、子どもたちがこうした状況をどのように経験したか、ということについて話し合う。次のような問いを立ててみる。
● 君たちも、自分が今いないところに、自分の物がある時ってあるかな?
● アンナはどんな風に感じていたのかな?
● こういう気持ち、君たちも分かるかな?
● 君たちの親は、どう答える?
● 何が君たちの助けになるかな?

パパは今ハインリッヒ通りに住んでいる 児童文学、大人一人で対応可、グループワーク

教材 マール,N./バールハウス,V.:『パパは今ハインリッヒ通りに住んでいる』、1990.
ねらい
 この物語は、母親の家の諸変化、父親の新たな始まり、男の子たちの気持ちをはっきりと描写してくれている非常に現実的な物語である。これらの話題に直接的に直面させることは、それに耐えている子どもたちにとって、適切であろう。より小さな子どもは、しばしば、自分をブロックしているので、動物などの別居のお話の方が良いだろう。
手引き
 子どもにこの物語を読み聞かせして、この本について話し合って、最後に、子どもたちに、この物語から感じる何かを描かせてみる。

わたしたちみんなバラバラ 
年齢 5歳から10歳
教材 コール,B 『わたしたちみんなバラバラ』、1997
ねらい
 この本は、子どもたちが親に働きかけて、別居させる、というイギリスのすごい別居の物語。とりわけ、家族や友人たちのあいだで、結婚を取り消す(ent-heiraten)、という共通のセレモニーは素晴らしい。人が自分のパートナーとの間でギクシャクしているのを感じ、同時に、唯一の正しくて可能な解決策として、別居を示し、牧師が与えてくれた祝福といったセレモニー的行事を終えた時、通常、人はどのように発達し、自分の不利益をかえていくのだろうか。この事を示しているのが、まさにこの素敵な本なのである。翻訳書のタイトル(原著は『すべてふたつ』)はふさわしくない。意味に即して言えば、『わたしたちはすべてが二重となった』、と言わなければならない。離婚後の子どもたちの利点は、家が二つになるということと、すべての利点を二重に楽しむことができる、という点にあるのである!
手引き
 物語を子どもたちに読み聞かせる。そして、それについて語り合い、最後に、子どもたちにこの物語から何かを描かせる。そして、別居の過程の中でも、幾つかの点ではより良くなった、ということを、子どもたちに伝える(重たい空気が少なくなり、誕生日やクリスマスのプレゼントが増えた、など)。

割れた花瓶
年齢 8歳から10歳
教材 物語
ねらい

ニックネーム 2005jouir at 11:57| Comment(72) | TrackBack(0) | keiの覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月20日

第一回(4月22日)

学校と共に始まる人生の厳しさ@ドイツ

ドイツの学校について何かを書くことは、そう簡単ではない。

ドイツの子どもたちは、6歳になると、学校に通わなければならない。ドイツでよく言われるように、学校の進学と共に、子どもたちにとっては、「人生の厳しさ」が始まるのである。最初の学校登校日に、子どもたちには、甘いものやクレヨンや遊具がいっぱい入った学校袋(Schultüte)がプレゼントされる。この袋が、学校初日をすこしばかり楽しいものにしてくれている。一度、学校に入学すると、子どもたちは少なくとも10年間、もし子どもたちが大学で勉強したいと思うならば、13年間、学校で過ごさなければならないのである。

四年生までは、全ての子どもたちが、[同じ]小学校(Grundschule)に行く。小学校では、読み書き計算の他に、色々な絵を描いたり、色んな歌を歌ったり、色んなことをして遊んだりする。クラスの担任が一人いて、その先生が、ほとんどすべての教科の授業を行い、子どもたちと非常に密接な関係をもつことになる。第一学年の児童は、徐々に、学校での学び方を学んでいかなければならない。まずもって、25人から30人の別の子どもたちと一緒に静かに座り、耳を傾け、45分間の授業に集中することに慣れる、というのは簡単なことではない。小学校最終学年では、両親は、クラスの担任と一緒に、子どもをどの学校に進学させるべきかをじっくり考える。

子どもにとってふさわしい学校を選択することは簡単ではない。つまり、ドイツでは、第五学年からは、異なった学校形態が存するのである。/基幹学校、実科学校、総合学校、ギムナジウムが、生徒の能力に対するそれぞれの要求に合わせており、それぞれの卒業証書を出している。基幹学校と実科学校は、第10学年の後に終了し、中級教育終了書を出す。それに対して、総合学校とギムナジウムでは、大学進学のための前提条件が与えられる。さらに、まだ職業学校があり、そこで、第10学年以降の生徒が、中級教育終了書ないしは大学での勉強のための前提条件を獲得することができる。また、学校の決定以後、別の学校形態に変更する可能性までもあるのだ。このように、ドイツの学校システムは実に複雑なのである。しかし、それだけではない。ドイツのそれぞれの州で、異なった学校構造を持っており、そのため、学校の変更を伴うドイツの子どもたちの移住に際しては、非常にたくさんの問題にぶち当たる。ここで述べられている公的な学校の他にも、たくさんの私立学校がある。

第5学年から第10学年の間、生徒たちは、ドイツ語、英語やフランス語といった第二、第三外国語、数学、物理学や化学や生物学といった自然科学、政治学、社会学、音楽、芸術、体育などの授業を受ける。第11学年から第13学年の間、生徒は、自分たちが特別に集中して学ぶ専門教科を選択することができ、最終的には、学校時代の最後に、一つの試験(アビトゥーア:高校卒業資格試験)を受けることになる。

ニックネーム 2005jouir at 19:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 2006.4.22-7.1(中級2) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月17日

12月10日


 「過去から未来の先の未来へ」 −おそらく、これが、憲法的なものを示す最も簡素な記述であろう。より厳密に言えば、〔ドイツ〕連邦共和国の精神状況を示す最も簡素な記述であろう。この基本法は、〔東西〕再統一まで有効で、ゆえに暫定的な措置であった。〔西ドイツの基本法〕146条は、「この基本法は、自由な決定でドイツ国民によって取り決められた憲法が効力を発揮する日に、その効力を失う」と詠っている。
 
 この国は、イデオロギー的にも、地理的にも、分裂している。この国は、敵対する〔東西〕二つの軍事連合の一員となる。そして、西も東も、共通の歴史を解釈し合うが、双方の解釈は食い違っていた。したがって、国民的アイデンティティーも存在しないし、純粋な首都も存在しない。たしかに、ドイツ語は一つだが、「現在、ドイツ文化は、一つなのか、二つなのか?」ということは、おそらく未来の先の未来にならないと分からないだろう。「ドイツ人にとって祖国とは何なのか?」という古い問いは、今日、前世紀に問われていた以上に問うべき問いだろう。
 
 「現在」は、暫定措置であり、「未来」については、誰も多くを期待していない。ただ「未来の先の未来」のみが残る。われわれにとって、いつ「未来の先の未来」が到来するのか、誰も知らない。それどころか、「“われわれには、そもそも未来の先の未来なんてあるのだろうか”ということは、はっきりしないのだ」と思っている人がほとんどだ。−やれやれ−われわれが「過去」を後ろ盾にしているというのは間違えない。
 
 むろん、「零時(Stunde Null=第二次大戦敗戦から東西ドイツ分裂が決定的になる頃までの時期)」を伴うドイツの歴史は、−当時、誰が広めたのか、私には分からないが− 実際には誤りである。われわれは、1949年、ゼロから始まったわけではなかった。そうではなく、われわれを何年も煩わせた重い借金を抱えて始まったのだ。その結果、〔ドイツ〕人は、36年経った今日でもなお、時折、その借金の重圧を感じている。例えば、1981年の春、ドイツの過去に対して、イスラエルの首相のベギン氏(77-83)がドイツの首相シュミット(74-82)を個人的に激しく攻撃した。けれど、われわれの暫定措置で、実に多くのことを生み出すことができた。そして、より重要なことは、「ドイツの社会と個々人は大きく変化し、その結果、彼らの利益となって戻ってきた」ということである。
 
 この書は、連邦共和国の始まりから今日に至るまでの歴史の輪郭を記述しようとしている。歴史家のパースペクティブからではなく、観察者の実証という視点からの記述を行っている。そして、観察者の課題は、ドイツの政治的な出来事を隅から隅までたどって、分析して、記述する、ということである。私は、1946年の二月、>ZEIT<の創刊に、編集委員として加わっており、今日もなおZEITの編集委員の一人である。
 
 あの時期を振り返ってみると、明らかに、それぞれの内閣首班−コンラート・アデナウアー(49-63)からヘルムート・シュミットに至るまで−が、その時その時の時代を生み出していた。それゆえに、私は、そのつどの歴代の首相の観点の下で、連邦共和国の歴史を考察した。つまり、歴史をいわば歴史の肖像画と結びつけて考察したのだ。ただクルト・ゲオルグ・キージンガー首相(66-69)は取り上げていない。というのも、彼が内閣を導いた大連立時代は非常に短命だったからだ。したがって、確実にすでに東の政治の準備政府であった大連立は、当時外務大臣であったウィリー・ブラントの箇所で論じられている。
 
 本書全体は、たとえ私が出来る限り客観的であろうと努力をしたとしても、極めて個人的な記述の一つである。

マリオン・デーンホフ



ニックネーム 2005jouir at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 2005.10.8-12(上級:土曜日) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 

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